愛の循環
こんにちわ!
人が地上に生れ落ち、育ち、学び、結婚し、子育てをし、年老いて いずれは 「死」を迎えるときがくる。
人間が「死ぬ」という確率は、例外なく100%です。
すべての財宝を手にいれた 一国の王であろうとも 「死」を避けることはできない。
私自身の父母は もう とうに80歳半ばを超え、いつも冗談で、「棺桶に足を半分つっこんでる」 とか 「もう おまけの人生、いつ死んでもいいんだよ」 と、意識の中に「死ぬ」という覚悟を言い聞かせているような言葉を頻繁に口走るうようになった。
しかし、ちょっと風邪をひこうものなら、大騒ぎをしては薬を飲み、養生し、「健康でいる」というより、「病気になる」ことを怖れ、極端に過剰反応している。
人はいつかは死ぬとわかっていても、やっぱり死にたくないのだ。
日本の男女の平均寿命は 他の世界の国々に比べて 長い。 長寿と言われて久しい。
しかし、一方では 「病気大国」 「薬漬け」 と嘲笑の的であることも確かだ。
延命装置で生ける屍のように、何年もベッドに縛り付けられ、いったい何のために生きているのかさえ疑問な状態の老人が多数 いて、本人も家族も「幸福」とは言い難い。
「命」とは何だろう?
生かされていることに感謝しながらも、やはり人の寿命は誰にもわからない。
生きて居る以上、健康で、幸せでありたいと誰しもが思う。
一体、なぜ生きているのか?
生かされているのか?
深く思い巡らし、結果思いつくことは、
人は「人を愛するため、愛されるため」のレッスンを学んでいるのではないか。
生れ落ちて以後、多くのひとに出逢い、別れ、また出逢う中で、
どれだけ多くの人に「愛」を与えることができただろうか?
どれだけ多くの人に「愛」を受けとれただろうか?
究極、そのことが 「死ぬ瞬間」にもっとも重要なことではないだろうか?
「愛」は目で確認することは難しい、
けれど、
私たちは「愛」を感じ、「目撃」することがある。
愛を感じ、目撃したとき、喜びや平安な感動で胸打たれる。
愛は人から人へ 流れゆき、また 人へと返り、循環している。
辛いことや苦しいときに、人の愛ほど ありがたく尊いものはない。
この世界を 愛で満たし、循環させることが 一人ひとりに与えられた使命ではないだろうか?
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