石川県金沢市のヒーリングサロン

死生観

こんにちわ!

 

☆あなたの心に ひとしずくの癒しを☆ 

 

ミラハピようこです(*^▽^*)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

人はいつかは死ぬ、

 

 

わかっていても 「死ぬ」ということは 普段 考えたくないことのひとつです。

 

 

「死生観」という言葉があります。

 

 

 

 

死生観(しせいかん)とは、死を通した生の見方をいう。

 

宗派によっては生死観(しょうじかん)ともいう。

 

具体的な型には

 

 

1.人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?
2.死後や死者をどう捉えるか?
3.生についての人々の考え方や理解の仕方
4.生きることとは何か?死ぬこととは何か?

 

などがある。(Wikipediaより引用)

いまさらながらですが、人間の死亡率は 100%です。

 

 

ある女性の体験ですが、小さな愛する息子を自分の不注意で死なせてしまった。

 

 

あのとき、他のことに気を取られていて 気づかぬうちに ほんの一瞬 目を離したスキに車にひかれ 死なせてしまった。

 

 

 

夫に責められ、自分自身を責め続けた日々。

 

 

どれほど後悔しても 息子は戻ってこない。

 

 

台所の隅に うずくまり 息ができない程 泣いても泣いても 小さな命は 戻らない。

 

 

人の命なんて、いつ果てるなんてわからない、今日逢った人にまた逢える という保証なんてどこにもない。

 

 

昨日まで元気だった人が、今日も明日も一年後も元気で生きているかなんてわからない。

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

どれだけか時が過ぎた後、彼女は、「死」というものの本質を知り、受け止めた上で 「生」を生き始めたのです。

 

 

「彼女自身の生」を生き切ることを。

 

 

 

 

 

自分に与えられている「生」で何ができるのか?

 

人に何を与えられるのだろうか?

 

 

 

 

 

彼女にとって、

 

死を通した生の見方が 変わった瞬間だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

死は、いつ 訪れるのか わかりません。

 

 

 

10年後かもしれないし、5年後かもしれないし、・・・今日かもしれないのです。

 

 

 

 

 

 

保証なんてどこにもないし、誰も教えてはくれません。

 

 

 

けれど、

 

 

 

人は 「死」に向かって確実に歩んでいるのです。

 

 

 

 

今日の一歩は「死」への一歩です。

 

 

 

 

 

 

 

お寺の住職さんが言いました。

 

 

「人の死に様とは、その人の生き様のことや」

 

 

 

 

 

多くの人の死に様をみてきたからこそ、死に様をみると その人の「生き様」が見えてくるのでしょう。

 

 

 

 

確かに 「あの人はあんな人だったから、親族も寄りつかず、孤独死したんだ」 と 陰口を叩かれる人もいれば、

 

 

惜しまれながら、多くの人々に見送られる人もいます。

 

 

 

 

 

 

心残りなどない、

 

 

いい人生だった。

 

 

 

そう思いながら 死んでいくことができる人ってどれくらいいるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

人に与えられた 今世での 時間には 多かれ少なかれ 「限り」があります。

 

 

 

 

私は、「死」を通した「生」の見方で 生きることができているのだろうか?

 

 

 

 

先の愛するわが子を自分のせいで亡くした女性の話しを聴き、

 

 

改めて 自分に問いかけてみる機会をいただきました。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。

 

 

愛と感謝を込めて

 

 

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